作家インタビュー第28回 鴈野敏生さん

インタビュー作家座談会

パズル作家をひとりおよびして語っていただくパズル作家インタビューのコーナーです。今回のゲストは鴈野敏生さん。年齢は、本人いわく「還暦に消費税がついちゃった」歳。今は退職されていますが、現役時代はコンピュータ関係のエンジニアをされていたそうです。聞き手はニコリスタッフの(竹)。同じくスタッフの(金)も賑やかし役として参加しました。

(竹)小さいころのお話から聞かせてください。どんなお子さんでしたか?

鴈野敏生小学校のころから理科系でした。4年生のころかな、初めて日本でトランジスタができました。それを6年生のときに買ってきて、一石ラジオ(トランジスタ1個でできたラジオ)を自分で作った記憶があります。中学1年生のときにアマチュア無線の免許をとりました。100%理系ですね

(金)アマチュア無線は私もやっていました。あのころの理系の男の子はみんな通る道ですよね

鴈野敏生でもね、アマチュア無線は話し相手と話が続かないとつまらないんですよ。私は話下手なので、中学生のうちにやめちゃいました。たぶん根っからの理系だからでしょうね。パズルもコトバを使うものは苦手です

(竹)機械がお好きなんですね

鴈野敏生ええ。それも、使うよりも作るほうが好きでした。パズルも解くよりも作るほうが好きです

(竹)コンピュータ関連のエンジニアをお仕事に選んだのもその延長でしょうか

鴈野敏生そうですね。退職する前はコンピュータの開発、特にハードウエアを作るほうをやっていました

(竹)小さいころから好きだったことを仕事にできてよかったですか?

鴈野敏生ええ。当時の開発職はやりたいことができた。『こんなものを開発したいんですけど』と会社にいうと、『じゃあやってみろ』ってやらせてくれました

(金)入社されたときからコンピュータを開発していたんですよね。入社されたときというと30~40年前ですか。そのころのコンピュータってどんなものだったんですか?

鴈野敏生大学のころはまだ真空管を使ったコンピュータでした。それからトランジスタを使ったものが出て、入社したころはちょうどIC(集積回路)のコンピュータが出はじめたところでした

(竹)そのころにコンピュータをやろうというのは勇気がいりませんでした?

鴈野敏生勇気よりも、最先端のこれから伸びる分野だという希望のほうが大きかったです。コンピュータのハードウエアって、今は新しく作る部分がほとんどなくなっちゃってますよね。そういう意味で、ちょうどいいときに入社して、ちょうどいいときに辞められたと思います

(竹)パズルと出会ったのはいつごろでしょうか?

鴈野敏生これまでのインタビューでも名前が出ていましたけど、多湖輝さんの『頭の体操』が最初。当時はまだパズル雑誌のようなものはなかったです

(竹)ニコリを知ったのはいつごろでしょう?

鴈野敏生うちの子どもが、小学校4年生のときに先生からパズルの本をもらってきた。それがニコリだったんですよ。子どもが解くためにもらってきたはずだったんですが、子どもよりもこっちがハマっちゃいました。それ以降は自分で買うようになって、20年ほど買い続けています

(竹)投稿を始めたのは?

鴈野敏生初投稿は2001年です

(竹)それまではずっと解くだけだったんですか?

鴈野敏生ニコリではそうですね。でも、パズル作りそのものはむかしからしていました。働いていた会社で、社内報に載せるパズルを作ったり

(竹)なるほど。投稿した最初のパズルはなんですか?

鴈野敏生カックロと橋をかけろでした。ほかに数独とひとりにしてくれも2001年に作りました。2002年に黒どこ、それから少し時間が空いて、スリザーリンクと波及効果。そのあとにヤジリン、今年作りはじめたのがましゅ、美術館。今は全部で10種類ですね

(竹)ほかのパズルは作らないんですか?

鴈野敏生いやあ、作りたいんですけどね。むかし波及効果で大恥をかいたんですよ。いいかげんな性格なもんだからチェックが甘くて、ルールに違反している欠陥問題をたくさんニコリに送ってしまったんです。それで、できた問題がルール違反じゃないかをチェックするプログラムをコンピュータで自作しました。ほかのパズルのチェックプログラムも一通り作って、問題を送る前にプログラムを通すようにしました。そうしたら、新しい種類のパズルを作るときは、まずチェックプログラムを組まないと安心して出せなくなっちゃった(笑)

(金)それにしても、12年間パズルを作らなかったのに、なんでいきなりパズルを作りはじめたんですか?

鴈野敏生仕事のほうが最前線から外れてきて、時間ができたからかな。はっきり覚えてないですけど。だから、働きざかりの30代の作家さんがたくさんいるのを見ると、みなさんよくやってられるなあ、といつも感心しています

(竹)今は、月に何問くらい作られていますか?

鴈野敏生ケータイやnikoli.comに投稿するようになって、ものすごく増えました。平均すると毎月25問くらいケータイとnikoli.comに送っています。ほかに出版物に15~20問くらいです。いちおう、一度に送るもののなかでは難易度がばらつくようにしています。でも、難しさをなかなかコントロールしにくいパズルってありますよね

(竹)たとえばどのパズルが難しいですか?

鴈野敏生波及効果なんて、私には難しさをコントロールできない(笑)。解ける問題を作るのがやっとという感じです。コントロールしようと考えながら作るんですけど、すぐハタンしちゃうんですよ。ハタンしちゃったらそれまでのものがすべてパァになる。その点、カックロやスリザーリンクなんかはハタンしても局所的に修正するだけで、それまでの流れを壊さずに作りあげることができる。波及効果はなかなかできないんだよね

(金)数独も部分的な修正が難しいパズルですよね

鴈野敏生そうですね。だから、パズルを大きく分類すると、作るときに『部分的に修正できるパズル』と『1カ所の修正が全面に波及するパズル』という分けかたもあると思います。私の場合、部分的に修正できるパズルは一日で作りません。一日で作るとしても、ときどき休んで、頭をリフレッシュしています

(金)単調にしないためにあえて時間を置く?

鴈野敏生そうそう。カックロが特にそうですけど、私が連続して作ると、おんなじような手筋があちこちに出てきちゃうので、解く人がおもしろくないだろうなと思うんです。だから時間を置いています。だけど、波及効果は無理。時間を置いたらわかんなくなっちゃう(笑)

(竹)作るときにどんなことを心がけていますか?

鴈野敏生問題を作っている最中にしっかり作りこむようにしています。ほかの作家さんのインタビューで、いちど問題を作ったあと、解きなおして、もっとおもしろくなるように修正する、という方がいましたが、私はやらないです。その代わり、作るときにちゃんと作りこもう、と

(金)その逆の代表がおがわみのりさんナンスケですね。彼のナンスケはどれもすごくいい問題なんだけど、何回も何回も解きなおして、細かい修正を少しずつ加えてるそうです

(竹)好きなパズル作家はいますか?

鴈野敏生個々の問題に対して『これはいい』と思うことはあるんですが、作家と結びつけて覚えたりはしないですね。覚えてもすぐ忘れちゃうので。ただ、いつも感心するんだけど、坂本伸幸さんはすごいなあ。やさしい問題から難しい問題まで幅広く作っているじゃないですか。ひとつの目標です

(竹)これまで自分で作った問題のなかで、マイベスト問題はありますか?

鴈野敏生ありません。いちど作って送ったらどんな問題だったか忘れちゃうんですよ。採用された自分の問題を解こうとして、なかなか解けないこともあるくらい(笑)

(金)それは自分の問題を客観的に見るチャンスかもしれないですね。ほかの人が、自分の問題のどこでつまるのか、どこが見つけにくいのか、というのがわかりますから

(竹)将来の話も少し。パズルは今後も作り続けますか?

鴈野敏生そのつもりです。私ぐらいの歳になってくると、頭の劣化と体力の劣化の両方をなんとかしたいと思うんですよ。頭の劣化のほうはパズルでなんとかする。それで、体力をなんとかするために、パズルが載っていただいた原稿料で山に登っています

(竹)へええ。山登りされているんですか?

鴈野敏生けっこう登っていますよ。2000年から登りはじめて、日本百名山の半分は超えました。最初は『四分の一百名山』で25くらい登れればいいなと思っていたんですけどね

(竹)ということはすでに50座以上登られているんですか。すごい! 最後に解き手へのメッセージをお願いします

鴈野敏生ほんとうに言いたいことは今までのインタビューで先に言われてしまっているので、今日は若いみなさんへのアドバイスということで…。パズルもいいですけど、ほかのこともやったほうがいいです。頭の老化はパズルで防げるかもしれないけど、いつまでもパズルを楽しみたいなら、体の老化も防がないと。ぜひ、パズルと同じくらいパズル以外のことも楽しんでください

(金)さすが、年の功!

(竹)含蓄ある一言をありがとうございました。これからもおもしろい問題をよろしくお願いします!


インタビュー : 2009年12月 2010年1月19日公開